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平野裕加里さんのはたブキ 「”ありのまま”を整える!!」3/6


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平野裕加里さんさんのはたブキ 「”ありのまま”を整える!!」

「”ありのまま”を整える!!」ストーリー
1 異例の大抜擢は自分の名前がついた情報番組。長くやってきた“生放送”
2 「準備と120%の笑み」。楽しそうに聞いているとゲストが少しづつこちらを向いてくれる
3 切り返しができなくて、話しが終わっちゃう。「実はね」まで、引き出せない人が多い
4 伝えることと、伝える人のお手伝いが「学ばない学び舎」や「世界ALSデーin Nagoya」へ
5 ALSデー。私がいままでどう生きてきたかをすべて問われると思った
6 区別しない、みんな一緒。ちゃんと会話をすると、そういうことがわかる(今回は5と6)
7 病気を直すことはできないけれど、明るくするとか、勇気を与えるとか、できるんじゃないかな〜って
8 人と関わる仕事、人の心の中にちょっとづつ入っていく、いろんな人とちゃんと向き合おう
9 細く見せようとしてる人にしかなれないんだ、だったら、そのままでいいじゃん
10 生放送の経験が大きい 目の前で起こったことを、想定外だったとしても受け入れていく
11 ありのままでいい、だからありのままを整えていくことが必要
12 輝くこと 自分の役割を100%果たすこと、できれば想定を超えること

5 ALSデー。私がいままでどう生きてきたかをすべて問われると思った

人見:やったことないことって、誰でも通常怖かったり、ALSって、知識ないし、そんなお医者さんじゃないんだからって思っちゃうけど。そうじゃなくて、そうやって声かけてもらって、縁あって、やってみようが広がってますよね。
平野さん:最初の頃はね「あんたになんかわかんないんじゃない」って言われたこともあります。「そうなんですよ、わかんないんですよ」って応えたんですよ。そもそも友達が困っていたから手伝った、ということからスタートしています。
人見:誰に言われたの?
平野さん:30年来のお友達の先輩がALSになって、で、「彼が人に伝えるっていうことをしていきたいって言っているけど、裕加里なら手伝えるんじゃない?」って言われて・・・。「そうだね」と答えたものの、ちょっと待てよと。自分が計られるなと思ったの。ようは、病気の人と向き合うってことは、可哀想って思っちゃうんじゃないかな、とか。深く踏みこんじゃいけないって思ってしまうんじゃないかとか。「私、ちゃんとできるかな」と思ったときに、これは私がいままでどう生きてきたかをすべて問われる場面だなと思ったの。
人見:すごい話。
平野さん:でも、本当にそう思ったの。わたしがこれまで人とどう接してきたかが出てくると思ったの。ようは、わたしがインタビューをすることになったから。で、その人に伝えたの。本当に申し訳ないけど、わたしはわからないから、わからないことは聞きます。嫌なコトを言ったら、「それは失礼だよ」といってくれていいし、という話をしたの。わからないことを教えてください、私にできることはなんですか?というようなスタンスで向き合おうと思ったの。

6 区別しない、みんな一緒。ちゃんと会話をすると、そういうことがわかる

人見:放送を拝見して、わたし平野さんみたいにできるかなって、心の距離つくらずにハグできるかなって、おんなじ目線に立てるかな、ってすごく思った。
平野さん:だからそこもね、人を区別しないっていうか、当たり前なんだけどそこなんだよね。だって、考えていることとか、子供を思う親だったり、何かをやり遂げたいという一人の人間だったり、みんな一緒なんだよね。ちゃんと会話をすると、そういうことがわかるから、そうすると、できる。
人見:会話をちゃんとしてるから、できる。
平野さん:できる。そこは最初は不安だったけど、暗くならないで、ちゃんと向き合うっていうのも、ほんとうにわかんないから教えてっていうスタンスだったの、最初は。
人見:フラットに向き合おうとしても、可哀想と思う自分がいて、この気持ちをどうコントロールしたらいいか。
平野さん:最初は、そのALSの人にね、「だってさ、人はいつか治らない病気で死ぬんだよ」って言われたのね。当たり前のことなんだけど、そこで「ほんとだ〜。」って思ったの。「それが“いつなのか”っていうだけのことだよ。」って言われて、「そっか、なら一緒ですね。じゃ、私もあなたも変わらないんだ」って思ったの。

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